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合理化の動機は非合理

事業をしているなかで理不尽なことが多々ありますが、被害者になったら終わりです。被害者意識が自分の人生を好転させることは無いと考えています。災い転じて福となす、怪我の功名、逆境を跳ね返す、カウンターパンチを狙う、貸しを作ったことにしてこちらに都合の良い要求を通す、そんな感じで考えています。ハンデを背負った・被害を受けた等の状況を塗り替えるわけです。最終的にトータルで考えてプラスとなればいいなと。そんなに上手くはいかないですけどね。

 

正直、犬を抱えながらの仕事は非合理の塊です。分離不安があるので、外出するときは片手に抱えながら移動しています。私が望んで迎えたわけではありませんが、ほぼすべて私が面倒を見ています。私が三代目の飼い主ということからも分かるように、手のかかる犬なので困るのですが、私は最後まで面倒を見ますよ。犬の散歩が起因となって猫を拾うことにも繋がったし、非合理な状況は拡大しています。猫はそんなに手がかかりませんが、ご飯やトイレ、一緒に遊ぶ時間が、毎日私の時間や脳のメモリーを少しずつ削っています。仕事に振分けられたはずの時間・脳のメモリーが損失となっています。

 

最終的には犬・猫の介護があるでしょうね。その頃にはプラスして母、伯母の面倒も見なければなりません。サラリーマンでは時間的にも金銭的にも無理です。やはり事業や投資で成功するしか道はありません。飲み会には滅多に参加しないし、いろいろ失うのは覚悟のうえで合理化を追求します。その結果が顧客の利益にも繋がると考えます。

 

非合理の塊。それでも愛おしいです。この先どうなるか分かりませんが、事業で飯を食えて犬猫がそばにいる生活を送っている今の状況は、後で振り返れば幸せだったと感じるのかも知れません。